今回の災禍は個人個人が以下のような制約条件・原則に対応できるかが問われている。
「他者・全体のために、自分はマスク着用や外出を控えるという利他性」
「利他的行為において、医療従事者の方々等、エセンシャルワーカー以外は他者に物理的に寄り添うことはできない」
「各人の行動の答え合わせは2週間後」
言い換えると上記3原則は、新型コロナから我々ひとり一人に突き付けられたルールであり挑戦状である。
職場で、学校で……老若男女、多くの人たちが場所・季節を問わず羽織っているカーディガンの起源は戦場で負傷した兵士のためのものであった。クリミア戦争当時、もともと保温のための重ね着として着られていたVネックのセーターを、怪我をした者でも着やすいように、第7代カーディガン伯爵が、前開きにしてボタンでとめられる様にしたのがその始まりと言われている。同様に、戦場で腕を負傷し、マッチを擦れない兵士のためにはライターが発明された。現代においても、もともと医療・福祉施設で使用されていた温水洗浄便座が一般家庭向けのウォシュレット(TOTO)やシャワートイレ(LIXIL)等となり広く普及していることは周知のとおりである。時計・血圧計・体重計・電卓などには数値を読み上げて知らせてくれる音声出力商品があるがこれらも、もとは視覚障がい者用に開発されたものが多いが、近年は広く一般の消費者に利用されている。このように、当初は特定の制約条件に対応するために開発されたものが、その利便性・普遍性から広く使われるようになったケースは多々ある。言い換えれば、障害や制約の存在は全体の進化・発展に貢献している。
コロナ禍では、多数の人々が行動の制約下において、不便な生活を求められているが、例えば10年後、「2020年は〇〇が大きく進化した(アップグレードした)元年であった」と振り返る日が来るであろう。もともとオリンピックのレガシィはホスピタリティとリモートワークと言われていたが、私自身は組織・人事の専門家として長年、グループ経営、グローバル経営、組織変革、ダイバーシティマネジメントなどに従事しており、この〇〇には「組織・人事・働き方」を挙げたいと思っている。
皆さんの〇〇、はなんだろうか。ぜひこの機会に考えてみてはいかがだろうか。